KABELSALAT

もつれたケーブルみたいな日々を解くかんじのブログ

宿題とか適当にやっても将来になんの影響もないよ。

10年前の読書感想文

「道がなければ作ればいい」

と、高校生の私はそう書いて読書感想文を締めくくったらしい。

らしいと書いたのはつい最近まで書いたことを忘れていたからだ。

それもそのはず、その読書感想文は私のでなく妹のためにゴーストライトしたので書いたという印象が殊更薄かった。内申へのプレッシャーか、「私には書けない」とヒステリックに匙を投げた当時中学生だった妹の代わりに、私が書いた読書感想文は見事S評価を取ったらしい。

とはいえ、当時の妹は自分が書いていない文に興味はなく、まともに読んだのは卒業間近に返却された時だったらしい。(ひどい)

志望校に落ちた失意の妹には、冒頭の言葉が酷く心に響いたらしく妹はブログにこれを認めた。そしてつい最近、仕事で落ち込んでいた妹は自身の過去の記事から私の読書感想文の一節を思い出した。

そこでどう感じたのかは知らないが、「励まされた」とのことで、筆者の私にお礼のラインが飛んできたのが数日前だった。

 

人を感動させるもの

妹のお礼に、「こいつ酔ってるんじゃ…?」と疑ってしまったのは悪かったとここで謝っておくとして、その礼にも、自分の言葉にも、私自身今ひとつピンとこないのはなぜだろう。それは多分、私が人を感動させようと感想文を書いたわけじゃないことが一番の理由だと思う。

文章に感銘を受ける基準はなんだろうか。

思わず情景が目に浮かぶような美しい言い回しだろうか、それとも誰も思いつかないであろう表現力だろうか。

私は「構成」が美しい文に感動してしまう。

私が中学生の時に天声人語を執筆されていた方が、最も美しい文を書くと今でも思っている。一つの話題から始まり、次のパラグラフで一見全然関係ない話題になり、しかしそれは回り回って冒頭の話題に対する締めくくりとなる。エッシャーの絵のように、説得力を伴って必ず戻ってくる文章が、見事で美事な文章だと思う。


きっと件の読書感想文も、私はそんな構成を目指して文を書いたに違いない。

だから私は上手く文を構成できたことに満足して、内容をすっかり忘れたのだ。文に書いた内容は美しい文章を構成するための主張であって、私の主義主張を吐露したものではなかった。私は美しい文の為なら、「思ってもいないこと」をもっともらしく書くことを当たり前にやるような奴なのだ。

妹に礼を言われてもピンとこなかったのは、それがある意味私の「本心」じゃなかったからで、私はきっと、文章構成を褒められたかったのだ。

 

好きは仕事になるか

私は大学に入ってからも文章を「構成する」のが好きで、ひいては文章にするしないに関わらず、物事の辻褄が合うように言葉を構築する作業を好き好んで行っていた。

「世界にばらばらに散らばってる事象に、関係性を持たせて、今の問題を解決する」ような仕事がしたいと思った。

 

一度就活した人ならわかると思うが、そんな仕事はない。

文章というと出版業界がまず浮かぶだろうが全部落ちた。メーカーや商社もだめだった。おおよそ「クリエイティブ」なことをやる会社に私は入れなかった。


しかし読書感想文でヒーヒー言っていた妹は、俗にいう「クリエイティブ」な仕事に携わっており、ついで文章を書く機会もあり、企画や提案をする作業があるらしく羨ましくてたまらない。

私はというと、文章を書く機会がはなく、クリエイティブとは程遠い仕事だ。「社会に出たら文章を書く能力は重宝する」と父に慰められたが、仕様書を書くのに特別な文才は必要ないと思う。

私は今の仕事が好きではないので、繁忙期になると毎回「ぜってー転職してやる!!」と適職診断をするが、その度に今の仕事が「あなたに最も適した仕事☆彡」と出てくるのは中々喜劇だと思う。

今の仕事の中でも、「混迷した物事をバラして分けて名前をつけて、崩れないように建築し直す作業」だけは向いていると思うけれど、それだけやってりゃいいってもんでもない。

好きを仕事にした妹だって、「読書感想文に励まされた」というからには、「好き」だけやってられないからこそ辛くて、大変なのだろう。

 

本のタイトルは

「道がないなら作ればいい」とは、今も昔も思ったことはない。

「360度全て道なんだ」と唄うBUMP OF CHICKENの長年のファンである私にとっては、どこであろうと自分が踏み出した先が自分の道だと思ってきたからだ。

道がないというのは、つまり自分がある特定の価値観に留まっていることで、道がないように見えているだけなのだ。他責、自責に関わらず、「そもそも何で今がこんな形をしているのか」を分析してみると、前、後ろ、右、左、の他に上、下も行けるコマンドがあると気づけるはずだ。

ところで、読書感想文を書いた本のタイトルは「青空の向こう」だ。

交通事故で死んだ少年が、天国に行く前にやり残したことをやりに幽霊になって現世に戻ってくるという感動作なのだけれど、一体何をどう「構成」したら「道がないなら作ればいい」などという締め括りになるのか書いたわたしですら皆目見当がつかないので、今度実家に戻って原稿を探してみようと思う。